【コラム】常識は良識によって生まれる?

Tomoの考える常識と別の人が考える常識は違うものであるかもしれない。
人間の考える「常識」とは個人個人違うものであるのかもしれない。

ひと昔前は、「人から見られて恥ずかしい事」はもっと広い意味での「社会」だった。
そうだった筈なのに、いつしか「人から見られて恥ずかしい事」「地域」という、「自分の身の回りの小さい社会」になってしまっている気がしてならない。

電車の中で化粧をしたり、道端で座り込んだり、当然のようにコンビニの本コーナーで立ち読みをして本を買う人が来てもその場を退かない。
犬の散歩に公園で綱を離して犬を走らせたり、犬の糞をそのままにして持って帰らない。

あげたらきりが無いくらい、社会の常識はドンドン劣化して荒廃している。

よくテレビやなんかで、「他人の子供を叱らない大人が増えた」と言っているのを耳にする。

それだけでは無い気がするのだ。

その子の親自身、自分の子供を叱らない。

子供が電車の中で走り回ろうと、席に土足で上がろうと、他人に迷惑をかけようと、自分の子供が悪い事をしていても、自分の子供を叱れない親が増えている気がする。

ともすると、他人に自分の子供が叱られると怪訝になったり逆にその人に食って掛かる人もいる。
これでも「社会が子供をダメにしている」などという話が成り立つのだろうか。

「叱っても言う事を聞かない」「言って素直に聞く子じゃないから」

と諦めてしまう親もいる。
そんな子供に育てたのは誰なのでしょう。コウノトリさんですか?

子供に絶対体罰を振るわないという親がいる。
そのわりに傍観する親も多いのだ。

確かに、叩けば直るのは昔のテレビ。叩いて言う事を聞くのは馬や牛くらいかもしれない。
叩けば叩くほど凹むのが釘と子供だとTomoも思う。

だからって、「親はなくても子は育つ」というようにそのままにしたら、そのまま育ってしまうもの。
また、感情だけで怒っても、それを子供が理解できなければ意味が無い。
体罰にしても理解無き場合暴力でしかないし、尻と手が痛いだけである。愛もそこに無い。

親は自分の歩んだ人生の経験から、人生の先輩として指導するべきだと思う。

子供に言って聞かせて、叱る以前に「諭す(さとす)」事が出来る、一番身近な大人です。
なぜ悪い事はしていけないのかを教える上で、「考えさせる」ことが必要ではないのか。

常識という物は人の良識が作り出すもの。

しかし、「良識」は個人の「道徳心」や「気遣い」や「思いやり」、そうした「やさしさ」から生まれるものだと思われる。
狭い範囲には目が届くが、広い世界には目が向かない。気がつかない。(フリをしているのかもしれない。)

「3世代が同居する家庭が少なくなったから」という人もいる。
親と同居する家庭が少なくなったから、子供を叱る人が減ったというのだ。

そうだろうか。
孫に弱いおじいさんやおばあさんは多いようで、おじいさんやおばあさんが悪い事をした孫を叱ると、「ウチの教育があるのだから」とか「今は昔の教育とは違う」等と、逆に怒られる。

孫に嫌われたくないとか、家に遊びに来て欲しいからと、おじいさんやおばあさんは孫の教育に手や口を出さない。

それでいて、やれ雛祭り、やれ入学式と、お金だけは出させている。

先日、小学校の先生と話していて、「子供が朝礼の時にパタンパタン倒れる」というのを聞いた。
よく話を聞くと、夜遅くまで大人と一緒にテレビを見せて、かつ朝は親も寝ているので、ご飯も食べずに学校に行く子供が増えているという。

だからその先生は、そのこの家に行って子供を起こし、学校の保健室でパンを与えているという。
学校も、そのようにするべきだと言うのだそうだ。

子供の躾(しつけ)や生活習慣も、学校が面倒を見るべきなのだろうか。
そうでは無いと思うがどうだろう。

「子は親を見て育つ。」
「子は親の鏡である。」
「偉人は何度として子供に帰る。子は親の父である。」
「親も親なら子も子」
「蛙の子は蛙」
「三つ子の魂、百まで」

たくさんの諺(ことわざ)や座右の銘があるというのに、自分の事となると結局それらの事は忘れてしまう。

自分本位の人が増えたと思う。
自分さえ良ければ、他人にどのように思われても良い。

よく「今の若い者は」というのを耳にする。
これは中年のオジサンやお年寄りばかりが言う言葉ではなく、実はいろんな世代ごとに、例えば18歳と15歳の世代間でもジェネレーションギャップはあるし、「今の若い者は」と考えるものだという。
人間は、自分の昔の良かった面のみを「良かった」と肯定する事で、感動する生き物なのだそうだ。

昔が本当に「良かった」ですか。

昔、「最近の若者は個性が無くなった」とよく言われていたものだ。
そして、月日が経って、「個性」や「オリジナル性」とはかけ離れた、「わがまま」「わが道を行く」といった精神で、みんな自分勝手になってしまった。

今の首相が「美しい日本」に帰ろうと言っているそうだが、今の日本をおかしくしている世代の人間が、何を言っているのだろうと思う。
ノスタルジィに浸るのは結構。古き良き日本、多いに結構。

けれど、『今現在』は相対性的に時間は流れ続けていますよ。

10年後、20年後にまた、「昔は良かった」と言うのでしょうか。

さて、これら全てをTomoは誰に対して言っているのかが分からなくなってきました。
こんな偉そうな事は言えないかもしれない。

自分がさもありなんと、人に恥ずかしくない生き方をしているのかに自信が無いからです。
それほど人にどうこう言えるような人間ではない。

どちらかと言えば、不出来な人間ではないか・・・と。

ただ、TomoはTomo自身の「良識」を養って正しき「常識」をもって生きるしかない。

とにかく今の世に言えるのは、

悪を報いるに悪を持ってするは、悪を加えることなり

子供の将来の生き方は親や大人や周りの人間の教えや示した行動如何で変わりますよ。

子供は親や上の兄弟や周りの大人を見ていますよ。

子供達は、その中で得た「良識」の範囲で「常識」を養って子供は育っていきますよ。

子供は親の生きた人生という道をなぞって歩くものです。

そろそろ気がつかないといけないと思う。

子供を叱る前に、親や大人が正しい「良識」と「常識」を持っているのかを。

そして、人は内面が大事と言っても第三者は人の外見や行動や言動を見て、その人の個人を「判断」します。
人から見られて恥ずかしい事柄は悔いて改めるべきと思うのです。
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EXCERPT:

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