【動画】「高台へ避難してください」最期まで避難を呼びかけ続けた女性 #jishin

東北地方太平洋沖地震で地震の後に津波が各地を何度も襲い、多くの尊い命が失われました。
宮城県南三陸町にも津波が襲い家々を押し流しながら全てを飲み込んでしまいましたが、最期まで町民に防災無線で避難を呼びかけた町職員の女性がいました。
「只今、津波が襲来しています。高台へ避難してください。海岸付近には絶対に近づかないでください」
ギリギリまで避難を呼びかけ続けた町職員らは屋上に避難。しかし高さ10メートル以上の津波が町役場も襲い、屋上に避難していた防災無線で避難を呼びかけていた女性も被害にあわれました。
女性は昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していました・・・。

【動画】「高台へ避難してください」最期まで避難を呼びかけ続けた女性

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募金情報まとめ - 平成23年東北地方太平洋沖地震

東北地方太平洋沖地震で亡くなったのは現在死者は1万1438人、行方不明者は1万6541人で、合わせて2万7979人。
沢山の多くの命を奪い、実に悔しくて悲しくて憎い地震と津波による震災であったということを我々は忘れてはいけません。
また、今なお多くの被災者が避難生活を続けていらっしゃいますが、そうした人たちもいち早く落ち着ける生活に戻すためにも、
日本はこれからひとつになって助け合い頑張っていかねばなりません。

“高台に逃げて” 命の呼びかけ 南三陸町一万の命を救った一人の女性

東日本大震災:命かけ防災無線「早く逃げて」 宮城・南三陸、不明の町職員・遠藤さん – 毎日jp(毎日新聞)

 東日本大震災の発生から3日目の13日、明らかになりつつある被害状況は拡大の一途をたどり、死者が1万人単位に及ぶとの見方も出てきた。難航する救出作業、あふれる避難所、行き届かない食料や物資。福島第1原発1号機の爆発事故で、新たに約8万人の住民が避難を余儀なくされ、想像を絶する巨大地震に襲われた被災地は、大きな不安や疲労に包まれた夜を迎えた。

 「早く逃げてください」--。街全体が津波にのみ込まれ約1万7000人の人口のうち、約1万人の安否が分からなくなっている宮城県南三陸町は、町役場が跡形もなくなるなど壊滅した。多くの町職員や警察官、消防職員が行方不明となったが、その中に津波に襲われるまで防災無線放送で住民に避難を呼びかけた女性職員がいた。

 「娘は最後まで声を振り絞ったと思う」。同町の遠藤美恵子さん(53)は、避難先の県志津川高校で涙を浮かべた。娘の未希(みき)さん(25)は町危機管理課職員。地震後も役場別館の防災対策庁舎(3階建て)に残り、無線放送を続けた。

 難を逃れた町職員(33)によると、地震から約30分後、高さ10メートル以上の津波が町役場を襲った。助かったのは10人。庁舎屋上の無線用鉄塔にしがみついていた。その中に未希さんはいなかった。

 遠藤さんは「(生き残った職員から)『未希さんが流されるのを見た』という話を聞いた。もうダメだと思う」とつぶやいた。

 地震直後、遠藤さんの知人、芳賀タエ子さん(61)は「6メートル強の波があります。早く逃げてください」という未希さんの放送の声を聞きながら、携帯電話だけを持ち、着の身着のままで車で避難所の志津川高校のある高台を目指した。停電で信号が動いておらず、周辺道路は渋滞していた。高台への道路を上がる時、振り向くと渋滞の列からクラクションが鳴り響き、その背後から津波が家屋などをなぎ倒しながら追いかけてくるのが見えた。

 芳賀さんは懸命にアクセルを踏み、数十メートルの高さの高台に逃れた。車を降りて避難所の階段を上がった。遠藤さんもたまたま避難していた。

 芳賀さんは遠藤さんの手を握って言った。「娘さんの声がずっと聞こえたよ」

 高台から見下ろす街は濁流にのみ込まれていた。【比嘉洋】

【東日本大震災】命の限り叫び続けた 防災放送の女性職員、結婚式控え安否不明 母「頑張ったね」+(1/2ページ) – MSN産経ニュース

 未希さんは勤続4年目の昨年4月、危機管理課に配属された。介護の仕事に就くことを考えていたが、両親の希望を聞き入れ、町職員を選んだ。

 昨年7月に婚姻届を出し、今年9月の披露宴に向け楽しそうに準備していた。景勝地・松島のホテルを早々と予約。昨年12月、初めて衣装合わせをしてみた。「3月にはウエディングドレスの新作が出るの。お母さん一緒に見に行こうね」。そう約束していた。

 美恵子さんは「放送が途中で切れた」と知人に聞かされた。最後の方は声が震えていたという。「放送するのに精いっぱいで、逃げられなかったんだろうね。実際は怖かったと思う。母親の私が守ってあげられなくて。申し訳なくて」

 町は人口約1万7千人。約8千人の所在が分からず、被害の全容はまだ把握できていない。それでも避難所へ逃げた女性(64)は「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれたのだから」と思いやった。「『ご苦労さま。ありがとう』という言葉をかけてあげたい」と清喜さんは涙ぐんだ。

 「未来の未に、希望の希」。美恵子さんは娘の名前をそう説明した。壊滅した町には新しい電柱が立ち、がれきの間に道が通るようになった。少しずつだが、未来に向けて動き始めている。

【日本赤十字社】寄付・献血・ボランティア|ホームページ
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