家を離れて生活した時のお話

眞鍋かをりのここだけの話 powered by ココログ: 若者の街を歩く

オイラもねー、上京したてのころは毎日むなしかったなー。

大学ではまだ友達もできてなかったし、

休みの日はすることないし、

学校終わってからもすることないし。

 

いつも夕方には帰宅しちゃって、

再放送のルパン三世を毎日見てしまう自分が情けなかったよ。

 

 

  今日もルパン見ちゃった…_
| ̄|○

 

…みたいな。

そうそう、Tomoも東京に始めて行った当初は、どこに行くでもなくただただ家に篭っていたなぁ

寮にこもり家に帰りたくなっているTomo18才

それを見かねて、先輩が吉祥寺に連れて行ってくれたり、新宿のアルタに連れて行ってくれたりした。

ところで、アルタっていつも電車から降りて迷うんですが、東口じゃないんですかね。

あの、鳩の糞が落ちてくる入り口に出れないで、ビルの中に出てしまうんですよ。

って、もう行くこともそうそう無いんですがね。

 

東京にいるときは何してたんだろう。

意味も無く吉祥寺の「ユザワヤ」に行って、ビーズ買ってきて失くして(爆)

ピアスも1個しか穴開いていないのに、何個も持ってた(爆爆)

 

ちなみにこのピアスの穴、先輩にあけてもらったんですよ。

ていうか、無理矢理だったぞ???

冷凍庫にあった凍ったおにぎりで左耳を冷やしておいて、いざピアッサーで穴を開けるときにTomoは逃げようとしたから、
その場にいた先輩2人に押さえられて開けられたんだ。

なんという思い出だ。。。

 

そして焼きそばの作り方もここで教わったんだっけか。

先輩がカップ焼きそば作ってくれというので、フタ開けてお湯入れてカヤク入れてソース入れて3分置いてお湯を捨てた。

 

わかるかなぁ、最初のお湯入れる時にソースを入れてはいけないと、この時叱られましてね。

ああ、カップ焼きそばとはこうして作るのかと、その時知りました。

確かにあれは不味かった。。。

 

色んな地方から谷口光正の美容室に集まっていたので、色んな言葉が混じってしまって、「お前の言葉は伊予弁では無い」
とヤスに言われた。

それは半分正しい。がしかし、半分間違い。

だって、Tomoは昔から伊予弁がおかしいから。

 

若い頃に家を離れて仕事をしていたわけですが、今考えたらそういうのも割りと良い物ですよ。

後になってみて考えたら、仕事以外のことも勉強出来た気がする。

どこがどうってことは、良くわからんのであるけれど。

 

っで、「真鍋かをり、笑わせるな!」なんて言っている子がいますけれど、
真鍋さんでなくともかわいそうな物の考えをするでないよと「抱きしめてあげたい」

うんまぁ、その後腕ひしぎかけたるがな。

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