2009年「今年の始まりの漢字」を一文字で表すなら『迷』

新年開けて2009年。1月も既に1週間が過ぎました。
一文字で世相を表す昨年の「今年の漢字」は『変』でしたが、「今年の始まりの漢字」を一文字で表すなら、Tomoは『迷』と予想します。

ここでは、Tomoが今年の時勢の流れに対し感じた事をメモしておきます。

昨年から続いている未曾有の世界的金融危機により、海外輸出を軸に置いてきた自動車メーカーや電器関連メーカーが打撃を受け、雇用カットの為に派遣切りを断行。
それにより元派遣社員が派遣先の寮を追い出され、次の職を見つける事もままならず、職だけでなく住む場所も失い食べる事も将来も見えないで、文字通り「路頭に迷っています。」

この「派遣切り」で注意しなくてはいけないのは、色んな方向からの物の考えが出来るという事であり、「派遣切り」には様々な問題点が含まれているという事です。
ゆえに企業も政治も社会も、打開策が見えない未知の危機に対し「判断に迷う」状態ですが、実は迷っている時間はほとんどなく、目の前にあるトラブルや問題点を一つ一つ改善していく努力が必要かと考えます。

「派遣切り」をした企業はマスコミや政治家から様々なバッシングやブーイングによって叩かれているようですが、企業としても本来派遣社員は最も雇用調整をしやすいからこそ期間限定で雇う方式の派遣社員を導入したのであり、企業としては生き残る為の施策を講じただけなのに、今回のようなとんでもなく底の見えない金融危機の際に派遣社員を切った事で怒られる事は企業側にとっては寝耳に水の話になのかもしれません。

元派遣社員が都内などに集まって「派遣村」にて年越しをしたという報道を見聞きしていますが、ここにも批判の意見と賛同の意見が集まっているようです。
批判している内容の多くは「彼らは本当に働きたいのか」「次の職を選んでいる場合か」といったものが多いようで、生活保護の申請をした人が多い事にも端を発しているようです。また政治の活動の場と化しているという話もあるようです。

賛同している人はボランティアとして元派遣社員の方の食事などの支援を行なっていらっしゃるようで、その活動にはとても素晴らしい事とも思います。

坂本哲志総務政務官が東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に関して「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」と発言した問題などは、野党が猛反発して解任要求を民主、共産、社民、国民新が一致して追求していく方針を固めたようですね。

定額給付金を受け取る人の制限をするのかしないのかという話がありますが、麻生太郎首相が定額給付金に関し、これまでの「受け取り辞退」の姿勢を修正して受け取る可能性を示唆したそうで、これにも野党が一貫して反発の色を見せています。

個人的な定額給付金の使い方においては、今回麻生総理が方向転換している(?)とされる経済の混乱を改善する為の「給付金の景気対策と地域振興の目的」に使うという方針でも、「低所得者支援の目的」でもかまわないと思います。

どちらにしてもこうした給付金は使う事でお金が市場に増える結果となり、企業や地方産業にも少なからず影響は出る政策だからです。
定額給付金を「選挙を目前に控えた上での、バラ撒き行為だ」という批判もありますが、今まで政権を持った事のない政党が掲げた政策や景気対策や雇用問題の対策よりは実際に即効性のある政策ではなかったのかと思われますし、未だに支給がされない事には与党だ野党だと意見の食い違いで何も解決策が見出されない政治の状況の方が問題ではないのかと考えます。

先の「定額給付金の使い方」で、大阪の橋下知事が定額給付金について「所得制限かけ、余った金を耐震化に回したい」という話がありましたが、もし可能なら余ったお金をこうした元派遣社員や生活に困っている人や就職できないでいる人への支援金としての使い方が出来れば歓迎したいと思います。
ただ、予想通り「目的以外の使い方は出来ない」という話があったようで、なかなか自治体でも定額給付金の給付策には頭を悩まされる日々が続くようです。

最近また不思議な言葉を耳にしました。「ワーキングシェアリング」といって、今日もシャープの社長がこれを賛成の意を示していました。また、「雇用維持を目的」としているとも言えますが、自治体が期間雇用をこうしたワーキングシェアリングの考え方により、行員の残業費から給与をカットした上で雇用の人件費に当てるという方法を打ち立てていました。また、工場なら生産数をカットした上で減った分の生産に対する対価を分配し、全体の給与をカットする事で雇用を維持しつつ企業としての運営を図るという物のようです。

こうした動きは一見すると実に興味深い素敵な話に聞こえますが、実に共産的社会主義的な話にも聞こえます。こうした「ワーキングシェアリング」という考え方はずっと以前からあったようで、例えば政治家の方でもこうした方針を打ち出して活動している人もいるようです。

さて、「今年の始まりの漢字」を一文字で表す『迷』の話をしたかったのに、金融危機や不況や派遣切りの話ばかりになっていますが、他にも「判断を迷う」問題が今年はあるようです。

それは「裁判員制度」

当初、この裁判員制度を組み込むという話になっていた頃、マスコミはひとつの事件の裁判の動向に、裁判制度の有り方について議論しており、日本の法制度の問題について激しく叩いていた背景があったように思います。
その頃定期的にニュースになっていたのが山口の「光市母子殺人事件」
当時少年だった男が被害者宅を宅配業者に偽装して家に上がりこみ、被害者女性を殺害後暴行、まだ乳児であった子供も殺害するという事件の裁判において、被害者遺族である夫の本村洋さんが死刑を求める活動をされていらっしゃいました。
この事件は本村洋さんが妻の手紙を本にしたり、それを元に映画化もされたように記憶しています。

また当時から今も続いているテレビ番組で、弁護士が出てきてあらゆる判例を元に裁判の判決を予想する番組が始まっており、この時問題になったのが橋下弁護士による懲戒請求煽動という話題もありました。

こうした流れからか、裁判員制度の必要性が問われ、いざそれが今年の春ごろから行なわれるとなるや、裁判員の辞退者が後を多々内容で混迷を見せています。

確かに、全く面識もない人が重犯罪の裁判の行方を左右する決断をする事は、とてつもなく判断に迷うことではある事も理解出来ます。

ただ、これまで犯罪を犯した者の人権は保護されていたにもかかわらず、被害者の人権や被害者の望む罪に対する対価といえる求刑が十分になされていなかったという背景もあるが故の裁判制度の転換であり、これにより分かりにくかった裁判の内容が判りやすく伝えられる事も考えられますし、警察も十分な捜査と検証をした上で犯人を逮捕する事も考えられます。

おそらくこの裁判員制度の問題が特に良いほうにも悪いほうにも出てくるには裁判員制度が始まった当初と思われます。
裁判員になった人は極々親しい身内にしか話せないにもかかわらず、おそらくブログに書いてしまったりする人も出てくるでしょうから、その辺りの取り締まりはどのようになるかが今から気になります。

さて、最後に、人生とは誰にも将来像が見出せず、人生そのものが迷うことばかりですが、とりあえず。
今年の終わりにはこの『迷』から脱し『笑』の多い未来になっているよう、今から願ってやみません。
苦しい時期が続きますが、もうしばらくじっとがんばっていきましょう。

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