幸せってなんだっけ

幸せってなんだっけ
結論から言うと、日に日に彼の日々の事を思い出せないでいる自分が居る。
辛い事も哀しい事も、年月の積み重なりと共に淡く霞んでいく物なのだと悟る。
未だ先行きも見えない、答えも見つからない。

結局、何処に向かって歩みを進めていたのかも判らない。

ただ、一つ判っている事は、アレから5年が過ぎようとしている。
そのことだけだ。

新潟の駅前というのは、出口にもよるが閑散としている印象がある。
というのも、決まって東京駅を朝も5時から出発をし、新潟に着くのは早くて9時ごろ。
その時間には、通勤ラッシュも過ぎて人手も疎らであった。

そもそも、新潟に通うようになった切欠(きっかけ)自体、新潟のあの子に会う為では無く、遠くに行ってしまいたいという事でも無かった。
おそらく。
と言うのも、自分自身、なにゆえ毎月のように新潟に通っては、歩き続けるということをしていたのかすら、覚えていないのであるからどうにもならない。
死に場所でも無意識に探していた。
のであれば、何度でもそのチャンスはあったのではないか。
ただ、その何ヶ月か前に知人が焼身自殺をしており、こんな身勝手で無責任且つ卑怯な死に方というものは無いと思っていたし、なにより、そこまで思いつめる気力すらなかった時期。

海に向かって歩いて行くが、地図を見てもらうと判るように、新潟駅から海は近く感じられるじゃない。
ところが海に向かって歩いているのに、なぜか山に歩いていかねばならないだ。
ちょうどその間は山になっていて、途中で後悔を何度したことか。

そして、5年経ってようやく気がついたことに、Tomoは真っ直ぐ海に向かっていなかったようだ。
北西に進めば良い物を、北へ斜めに海を目指していた。
道理で時間がかかったわけだ。

新潟を旅の場所に選んだのには、短絡的にに涼しいのではと考えた為だが、北関東というだけあって、夏はやはり暑い・・・
その日、記録的な猛暑であったと記憶している。

それでも歩き続け昼も過ぎ海が見えてくると、海岸沿いに松の林が見えてくる。
潮の匂いが蒸せる風に乗ってきて鼻につく。

海では子供達が飛び込みを競い合っていた。
「水着をもってくればよかったな」
さすがに漫然と海を目指していただけなので、そこまでは考えていなかった。

その時に電話が鳴る。
これは今迄誰にも話していない事ではあるが、別れた後にも電話で連絡を取り合っていた。
ただ、その時にはもう、何を話して良いのか判らなかったので、大抵向こうの話を聞いているだけであった。

「いまね、海にいるんだ」
「はぁ?何処の??」
「新潟の・・・」
「あなた、なにやってるの」
それが判れば苦労はしません。
「それにそこは最近自殺した人がいたってニュースでやってた」
道理で、声もするわけです。

そう、あれは7月も終わりごろ、Tomoは浜辺に1人で歩いていきまして、暑かったんでね。
浜辺の近くの林のある公園のベンチで寝ていたんですね。

木陰でも暑かったのですが、疲れていたし眠気が強くてそのまま寝てしまいました。

すると、耳元でなにか声がするんですね。
男の人の声。

「・・・・・・・・・」

CUTPLAZA BLOG | 夏なので怪談話。画像・動画・ニュース集。参照

結局の所、何故別れる羽目になったのか判らなかったし、切欠を良く思い出せない。
父と向こうの親御さんに会いに行った際に、父が石田純一の如く靴下を履かない人であったため、それを怒っていたし、将来は如何するのかとか稼ぎは幾らあるのかとかA子を幸せに出来るのかとか我々はそんな遠くに嫁にやれないとか婿養子になってくれないかとかを向こうの母親に延々言われ続けていた事。
結婚式の日取りは場所を如何するかとか、親戚は何人集まるのかとか、費用は?様式は?段取りは?
そういった諸々に互いの心と心が新潟と愛媛の距離以上に遠くなってったのが原因ではないかと今は考えている。

将来なんてね、誰にも判らんですよ。
今、三十路にもなっても、将来が見えてこない。
竹内結子が好きだとか結婚して残念とか、そういう話を妹にしたら、
「もう少し現実を見てね。おにいちゃん、もう30なんだから。」
と言われたが、そりゃね判っておるのだよ。
ただ、現実なんて見たくも無いのでありますよ。
現実も見えない人間に、夢も突如真っ白になった人間に、将来の未来像を描けるわけも無く。

A子に別れ際に言われた事の中に「男らしくない」と言われて憤慨した事がある。
だからって、それが原因で髪の毛を伸ばし続けているわけでもない。
美容師はちょっと変人に見られている方が都合が良い場合もある。
1人でいたい時に、変人である方が都合も良い場合もある。

付き合っていたときに新潟であの子が勤めている店に髪を切りに行きましてね、大抵短く切られるわけですが、そういう切欠があれば切っていたわけでしょうが、髪が長い短いという事が「男らしくない」ということでは決してなかったらしい。

要するに、一年も過ぎたのに、結婚の日取りすら決まっていなかった事や、両家の親の取り成しが出来なかった事自体の苛立ちがあったのであろう。

ただ、Tomoは向こうの親にそうとう嫌われていたようで、わざわざアパートを借りて、そこで向こうの親とあっていたわけです。
Tomoは実家の家に上げてもらえなかった。

新潟を歩きながら旅して考え悩んでいた頃からずっと考え続け悩み続けている。
結局、未だに答えが見つからない。

新潟を歩いて旅し続けていた時から5年立っても尚、Tomoは何処か当ても無く彷徨い続けているのだろう。

その年の11月、家から電話が携帯にかかる。
父が癌になって手術をしなくてはならないと言う。

その時まで連絡を取り続けていたあの子に「父が癌になってしまった。また愛媛に帰らねばならない」と伝えると、あの子は「何故そんな事をいうのよ。何故そんな事を私に言うのよ」と何度も怒っていた。

ここでようやく、この子はTomoの好きであった人とは違う人になってしまっている。
ということに気がつく。

あの頃のTomoもあの子も、そして父もあの時みんな居なくなってしまった。

「5年が経って30になったら迎えに行くよ」という話をしていて向こうも返事をしていたのですが、もう誰を迎えに行くのか。
向こうもTomoは死んだと思っているんじゃないかな。

日本の言葉は「恋愛」という言葉にのように「恋」と「愛」を区別した言葉がある。
さだまさしの「恋愛症侯群 -その発病及び傾向と対策に関する一考察-」という歌の歌詞に「おそらく求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋、与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛」とある。

「恋」に関してはそうだろうと思う。
しかし「愛」というやつは変わらないんじゃない。日が経つごとに容量は大して変わらずに幾つかに『細分化』されてしまうのだと考えている。
「恋愛」が「情愛」だの「親子愛」だの「慈愛」「恩愛」「愛慕」「愛恋」「愛嬌」「愛敬」「愛染」「愛憎」「愛想」「愛慕」だの、色々な物に「愛」というやつは変化してカテゴリーばかり増え続ける。

それが互いの幸せと信じられていれば良いのだが、一旦信じられなくなってしまうと愛というのは壊れてしまうという事も往々にしてある。

今、世の中のニュースで、子が親を殺したり、親が子を殺したり、世を儚んで自ら命を絶ったり、命の価値が低くなっている。
命が消えてしまえば、それでリセット出来る筈も無いのですよ。
何も無くならない代わりに何かが足されるという事でもない。
ただ、あの日見た揺蕩う(たゆとう)海のように、寄せては返す波の如く、幾分かの変化のある毎日が続いている事が、人生というものではないのかと考える。

最悪の状況でも死ぬ事は無いです。
一歩前に、歩みを出せば良い。
結果は見えずとも、結論が出なくても、一歩は一歩。
人間、やってやれないことはない。

幸せというのは、その実(じつ)、案外身近にあるものではないかと思います。
時には景色を眺めてみてはどうかと思いますよ。
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「幸せってなんだっけ」への1件のフィードバック

  1. TOMOもいろいろ貴重な体験してるよね。
    これからもいろんな人達と出会いが待ってるよ。
    そう、幸せは身近な所にあるかもよ!

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