パンチパーマを考案した北九州市小倉北区紺屋町、「ヘアサロン永沼」の理容師、永沼重己さんが75歳で亡くなりました。
26歳で独立した当時、パーマをかけるためのヘアアイロンは棒の先端部分が細い円柱状でパーマのかかりが弱かったそうですが、永沼さんは独自に鉛筆のような六角形に削る改良をし、角の立ったアイロンは髪をはさみやすくパーマも強くかかるようになったそうです。
当店は父親が理容師から美容室に転向したため、理容系の仕事も目にしましたけれど、アイパーとかパンチパーマのかけ方は目にしたことはないですが、基本通常のパーマと工程は変わりません。
アイロンの操作でパーマをかけるのですが、アイロンは高温になるので地肌に触れないよう巻くのは大変で相当の技術が必要でしょうね。
顔剃りも美容師は女性に対しては化粧の延長上で施術出来ますが、アイパーやパンチパーマに関しては規定がなかったように思います。
アイロンによるパンチパーマやアイパー(アイロンパーマ)は出来ないというより、美容師にパンチパーマという需要が無かったため技術は必要としなかったんですね。
美容師法にもあるように『この法律で「美容」とは、パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすることをいう。』とあり、美容師はロッドを使ったパーマを発展させてきた経緯があります。
また、ストレートパーマでもカールを付けるために毛先にコテを当てることもありますし、デジタルパーマというのは加熱によるカールを付けやすくする技術となります。
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