今日はお休みでしたので、伊丹十三記念館に行ってきました。
【伊丹十三記念館】
【宮本信子OfficialSite】
【伊丹十三記念館を公開 松山、あすオープン-エンタメのニュース:イザ!】
記念館は2階建て。妻で女優の宮本信子が館長を務める。常設展示室で、伊丹のさまざまな面を名前にちなんで13のコーナーに分けて紹介するほか、収蔵室では映画の台本やフィルム、日記など約100点を展示。
【宮本信子さん=私財を投じて建設した、伊丹十三記念館の館長-ひと:MSN毎日インタラクティブ】
建設を決めたのは04年8月。家族で暮らした神奈川県湯河原町の家をはじめ、倉庫や事務所、撮影所などにあった遺品を整理すると、映画の絵コンテや台本、家具、愛車など約8万点が見つかった。「ほこりまみれの原稿や手紙、途中でやめてしまった脚本……。私も驚くほどの面白さ。想像を超えていましたね。それらを『引っ越し』ました。だから家なんです」。記念館ではこのうち350点を展示する。
【四国ミュージアム回廊:十二館目 伊丹十三記念館/1 /四国:MSN毎日インタラクティブ】
【伊丹十三 – Wikipedia】
『お葬式』(1984年)
『タンポポ』(1985年)
『マルサの女』(1987年)
『マルサの女2』(1988年)
『あげまん』(1990年)
『ミンボーの女』(1992年)
『大病人』(1993年)
『静かな生活』(1995年)
『スーパーの女』(1996年)
『マルタイの女』(1997年)
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【伊丹十三 (小惑星) – Wikipedia】
■ 【絵】伊丹十三を描いてみた
(※伊丹十三をを描いてみました。資料が足りない・・・)
【アニメ再生】から、Tomoの描いている作業が見られます。
中に入ると、さっそく「やあ、いらっしゃい」と伊丹十三監督の写真のパネルが笑いかけてきます。
そして、宮本信子館長の挨拶のビデオを見て、館内を回りました。
最初、子供時代の朝顔日記や作文が置いてあり、子供とは思えぬ観察力と文章で驚かされる。
絵や音楽にも長けていたようで、色んな絵やバイオリンとギターも展示されていました。
商業デザイナーとして活躍もされていたそうで、そうした経験が後々の映画のタイトルや構成などに遺憾無く発揮されたよう。
社会の疑問に真っ向から追及する作品が多く、その為危険なことに巻き込まれることも多かった伊丹十三監督でしたが、おそらくはその絶対主義的な追求への欲求が彼を駆り立てたものなのでしょうか。
しかし、人情的な描写は毎回描かれていますよね。
撮影の合間の写真も拝見しましたが、とても和やかにみんなで笑っておられるのが印象的でした。
今現在は、「お葬式」の映画のセットが展示されていて、絵コンテや台本も周りに所狭しと展示されています。
■ 【動画】
【伊丹十三 – たんぽぽ-動画-CUTPLAZA】
Tomoは伊丹十三監督の作品は過去の物は全て見ていると思うのですが、一六タルトのCMで伊予弁で喋っておられる姿が一番心に残っていますね。
■ 一六タルトのCM
伊予鉄バスの後部座席。2人が何かを思い出そうと話し合っている。
伊丹十三「なんじゃったかいねぇ~」
一六社長「なんじゃったかいねぇ~」
伊丹十三「あれよ、あれ」
一六社長「スポンジの生地に柚子のアンが入っとるやつよ」
伊丹十三「頭に数がついとったはずなんじゃが」
一六社長「・・・・・・・・・・・・」
伊丹十三「・・・・・・・・・・・・」
一六社長「いよいよいかん。。。ぼけて、しもぉたぁ~」
—–
EXCERPT:
いろいろな事に興味持って追求する人だったんだね。
感慨深い一日でありましたね♪(o^O^o)
伊丹さんのお父さんが松山出身だって。ヾ(・O・*)
松山はゆかりの地だったんだね。
宮元信子さんも眉山に出てるし、Tomoっちとなんだか不思議な縁を感じるね?!(o^O^o)
伊丹十三さん自体も東高に在学していた事があったようで、一六の社長と同級生であったそうです。
だから、コマーシャルとか映画に出たりしていたみたいですね。>一六の社長
宮元信子さんが苦手という人も多いようですが、Tomoは好きな女優さんの1人ですね。
演技がそれだけ真に迫っているという事なのではと。