俳優の武田鉄矢さんは昨年12月24日から1週間、文化放送で平日6時から放送されているラジオ番組「吉田照美 ソコダイジナトコ」内の「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」にて、台湾人評論家の黄文雄氏の著書「日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか」を取り上げた内容が話題になっていました。
武田鉄矢 教科書で教わらなかった韓国中国の歴史
武田鉄矢さんが「中国と韓国は日本を許す気はない。被害を受けた国は200年忘れない」というお話をされていますが、
中国や韓国の恨みや憎しみを糧にする文化というのは、ずっと以前から言われていたことなのに、どこのメディアも問題提起していませんでした。
【マツコ・デラックス「K-POPはパクリ!」「日本が嫌だったら出て行け!」 | CUTPLAZA DIARY】
中国人「十代でも、百代でも歴史を忘れることはない」
恨みの文化として黄文雄氏の著書から「朝鮮半島は何かあるたびに、恨み、憎しみを忘れないために記念碑を建てる」「韓国は弱者を徹底的にいじめる。弱みを攻めるのが外交の手段」「勝つためには何でもやる」を引用していますが、このあたりは概ね同意です。
ただ伊藤博文が韓国を併合したという発言に関しては、併合は伊藤博文が韓国のテロリストに暗殺されたあとの話なので間違いということを指摘されているとうことをふまえる必要があります。
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史① – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史① へのコメントのページ 1 – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史② – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史② へのコメントのページ 1 – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史③ – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史③ へのコメントのページ 1 – YouTube】
【伊藤博文 | 初代韓国統監 – Wikipedia】
伊藤は国際協調重視派で、大陸への膨張を企図して韓国の直轄植民地化を急ぐ山縣有朋や桂太郎・寺内正毅ら陸軍軍閥と、しばしば対立した[3]。 また、韓国併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取っていたが、併合方針の閣議決定に反対した形跡は無い(適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 明治42年(1909年)7月6日)。また統監として日本の政策への韓国国民の恨みを買うことになり、朝鮮人安重根の暗殺テロに繋がった。事件に動揺した親日派と韓国併合を加速させたが、前述の通り、併合方針は事件前の日本閣議で決まっていた。近年発見された伊藤の明治38年(1905年)11月の日付のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて伊藤博文研究の第一人者とされる京都大学教授の伊藤之雄は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた事を裏付けるものだ」としている[4]。
1905年(明治38)11月17日 – 大韓帝国が大日本帝国の保護国となり、韓国統監府が設置されると初代統監に就任
【第二次日韓協約 – Wikipedia】
1909年 – 韓国併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取っていたが、併合方針の閣議決定に反対した形跡は無い(適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事
1909年 – 統監として日本の政策への韓国国民の恨みを買うことになり、朝鮮人安重根の暗殺テロ
1910年(明治43年)8月29日 – 韓国併合
【韓国併合 – Wikipedia】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史④ – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史④ へのコメントのページ 1 – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史⑤ – YouTube】
【武田鉄矢。教科書で教わらなかった韓国中国の歴史⑤ へのコメントのページ 1 – YouTube】
ウリナラ
【韓国起源説 – Wikipedia】
倭奴(ウェノム)
【倭人 – Wikipedia】
【痛いニュース(ノ∀`) : 俳優の武田鉄矢さん、韓国の文化や歴史を批判 – ライブドアブログ】
【「中韓にいくらおわびしても同じ」「謝っても日本許す気ない」 武田鉄矢がラジオで「魂揺れた」発言 (1/2) : J-CASTニュース】