江戸時代に渡欧した侍の末裔とされる「ハポン=日本(Japo’n)」の性を持つスペイン人のDNA鑑定を行い、日本との関係を探る研究が始まるそうです。
1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が滞在したことで知られ、使節として来訪したまま現地に留まったキリスト教徒日本人、使節の現地人水夫、及びその支援者の子孫達と考えられています。
そんな昔に日本人が外国に行って移住したというのは初めて知りましたが、もし本当なら大河ドラマどころか映画化されそうな興味深いお話ですね。
【サムライ末裔?スペインのハポンさんDNA鑑定 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)】
江戸時代初期に渡欧したサムライの末裔ではないかと言われる「ハポン(Japo´n)」の姓を持つスペイン人のDNA鑑定を行い、日本との関係を探る研究プロジェクトが、近く始まる。
スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」姓を持つ人は、スペイン南部セビリア近郊の町コリア・デル・リオとその周辺に約800人が住んでいる。サムライの末裔と言われるのは、〈1〉1614年にスペインに到着した「慶長遣欧使節」一行が同町に一時滞在した〈2〉古文書に「ハポン」姓が出現するのは、一行が去ってから数十年後から――などの理由からだ。
地元の郷土史家が「サムライの子孫」説を提起していることは、1992年のセビリア万博の数年前から日本でも知れ渡り、関心を集めるようになった。
コリア・デル・リオ(Coria del Rio)は、スペイン、アンダルシア州、セビリア県の自治体。セビリアの南方約15kmにあり、グアダルキビール川に面する。
1614年、仙台藩の伊達政宗の家臣支倉常長が率いる慶長遣欧使節が滞在したことで知られる。コリア・デル・リオにはJapón(ハポン、日本)の姓を持つ人が約700人おり、使節として来訪したまま現地に留まったキリスト教徒日本人、使節の現地人水夫、及びその支援者の子孫達と考えられている。
1992年、宮城県はコリア・デル・リオに佐藤忠良作の支倉常長像を寄贈した。この像はグアダルキビール川に沿った公園に立てられている。
【Ayuntamiento de Coria del Río, Cervantes 69, CP 41100】
【Ayuntamiento de Coria del Río, Cervantes 69, CP 41100】
慶長14年(1609年)、前フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)への帰途台風に遭い、上総国岩和田村(現在の御宿町)の海岸で座礁難破した。地元民に救助された一行に、徳川家康がウィリアム・アダムスの建造したガレオン船を贈りヌエバ・エスパーニャ副王領へ送還した。この事をきっかけに、日本とエスパーニャ(スペイン)との交流が始まった。
こうしたエスパーニャとの交流が出来たことにより、常長の主君である伊達政宗はヨーロッパに遣欧使節を送ることを決定した。遣欧使節はエスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を正使とし、常長は副使となり、180人から組織され、エスパーニャを経由してローマに赴くことになった。遣欧の目的は通商交渉とされているが、エスパーニャとの軍事同盟によって伊達政宗が倒幕を行おうとした説も存在している[1]。